「うつろいを愛しむ」 日本文化を生きる Vol.8 代表 木下勝博

[浴衣としても着られる綿小紋 ひさご、通年使える名古屋帯 四季間道]
木下着物研究所 代表 の木下勝博です。 今回は「うつろいを愛しむ(いつくしむ)」というテーマを取り上げたいと思います。
今日で8月も終わり、明日からは9月を迎えます。日中は依然として厳しい残暑が続いていますが、鎌倉の朝夕の空気を肌に受けると、どこか風の質感や匂いが変わり、かすかな秋の気配が混ざり始めていることに気づかされます。庭先から聞こえる虫の音も、蝉(せみ)の声から少しずつ秋の鳴く虫の合唱へと主役が交代しつつあります。

現代社会は、あらゆる物事を明確に区分けすることに慣れています。カレンダーをめくれば「今日から9月、秋の始まり」、エアコンのボタンを押せば「冷房から暖房へ」と、スイッチのONとOFFのようにデジタルに切り替えることが当たり前になっています。そのため、暑いのか涼しいのかはっきりしないこのような端境期(はざかいき)に対して、「中途半端で過ごしにくい」「何を着ればいいか迷う」と、煩わしさを感じてしまう方も多いのではないでしょうか。
しかし、自然界の営みには本来、明確な境界線など存在しません。季節はデジタルに切り替わるのではなく、絵の具が水に溶け出すように、美しいグラデーションを描きながらゆっくりと移り変わっていきます。日本文化が古くから大切にしてきた「うつろい」という言葉には、そうした微細な変化そのものを愛おしみ、美しさを見出す繊細な感性が込められています。

着物の世界でも、この「うつろい」を味わう知恵が色濃く息づいています。 9月に入ると、盛夏の薄物(うすもの)から裏地のない「単衣(ひとえ)」へと衣替えを迎えますが、残暑が続く現代においては、厳密な決まりごとだけに縛られる必要はありません。
麻や絽の着物をまといながらも、帯揚げや帯締めの色を少し秋らしい深みのある色に変えてみたり、長襦袢の素材で体感を調節したりと、季節の変わり目を自分なりのグラデーションで楽しむことができます。「夏か秋か」という二者択一ではなく、その間にある移ろいを装いに取り入れること自体が、着物の大きな醍醐味なのです。
私たちの人生や日々の暮らしもまた、白か黒か、始まりか終わりかだけで割り切れるものではありません。多くの時間は、その間にある「変化の途中」にあります。移ろいゆく季節の微細な変化に目を向けることは、慌ただしい日常の中で、自分自身の心のグラデーションを受け入れ、整えることにも通じるのではないでしょうか。
夏の終わりと、秋の訪れ。 皆さまもぜひ、空の高さや風の涼やかさに五感を澄ませ、この季節にしか味わえない「うつろい」の美しさをゆったりと愛しんでみて頂ければ幸いです。
【バックナンバー】
「涼を装う」『日本文化を生きる』Vol.7
「節目で立ち止まる」『日本文化を生きる』Vol.6
「雨を愉しむ」『日本文化を生きる』Vol.5
「伝統とは?」『日本文化を生きる』Vol.4
「季節と生きる」『日本文化を生きる』Vol.3
「生活の中の和」『日本文化を生きる』Vol.2
「初めての体験」『日本文化を生きる』Vol.1
