<「太物(ふともの)」である綿麻素材の着物。いま流に言えばジャパニーズデニム?>

「呉服」「呉服屋」という言葉を聞いた事のない方はいらっしゃらないでしょうけれど、「太物(ふともの)」という言葉をご存知のない方は多いのではないでしょうか。

浮世絵などを見ていると越後屋のような大店の看板に「呉服太物」と書かれているのを目にすることがあります。
もともと「呉服」とは絹織物のことを言い、「太物」とは木綿や麻の織物のことをさしました。
※「呉服」の語源は中国・呉から来た織物技術者を「呉服(くれはとり)」から来ていると言われます。

江戸時代に中期以降、呉服商はそれまでの大口顧客だったものの財政的に厳しくなった幕府や武家階級から、元禄文化を代表とする新富裕層であった商人・町人を見いだしました。そう言った時代背景のもと江戸や大阪などの都市部を中心に呉服屋が発展してゆきました。

江戸時代にはたびたび奢侈(しゃし)禁止令=贅沢禁止令が発令され、身分によって細かく着て良いとされる着物の素材や色柄なども指定されました。そのため、下級武士や町人の多くは木綿や麻の着物を着用したわけです。

さて、話しは戻って「太物」ですが、なぜ「太物」という名前なのでしょうか?
絹織物の反物をイメージしてみてください。素材によっても違いますが、薄くてしなやかな絹織物の反物(たんもの)は巻きの細いものも多いです。一方、木綿や麻の反物は昔のものは厚手なものも多く、反物の巻きが太いのです。つまり、太い巻物という意味で「太物」だったわけです。

ちなみに着物一着分が取れる反物の単位を一反(いったん)と呼びます。この反という単位は土地の面積の単位としての一反=300坪をも指します。田んぼ300坪から取れるお米と同じくらい価値があると考えると分かりやすいかも知れません。租税として反物を納めたことの名残でもあるのでしょう。

「呉服」が今で言えば高級スーツやドレスだとすると、「太物」はデニムやコットン素材だと言えます。
少し前のブログ「分かりにくい着物の言葉〜訪問着の由来と歴史〜」のように、社会的な背景によって衣服も様々に変化をして来ています。これからの着物を考えるうえでも、過去に日本人の衣服がどのように変化して来たのかをもっと知りたいと思います。

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