現代では「着物=絹」だと思われがちですが、それは戦後の数十年に出来たイメージだと言っても過言ではないでしょう。
戦後日本人のライフスタイルは衣食住の全てが西洋式(米国式)が広がってゆきましたが、それ以前は日常的に着物を着て生活をしていました。着物とひと言で言っても、日常生活の中では様々な着物を着ていました。

前回のブログで「呉服」と「太物」について書きました。

江戸時代には幕府や財政改革や社会的な規律を維持するために階級に応じて着用が許される素材を指定するようになったことは前回もご紹介しました。同じ町人であっても豊かな商家のお嬢さんと奉公人では着るものは異なります。ご主人やお嬢さんは絹素材を着たとしても奉公人や下人は木綿を着用することになっていました。今の感覚では差別というイメージがあるかも知れませんが、むしろ、職業に応じて着用するものが異なっていたと考えた方が現実に近かったのではと私は考えています。

例えば、工事現場で働く職人さんは現代でも木綿など洗える素材を着用していると思います。一方、デスクワークを中心にしたり会社の経営を行う側となればスーツなどですね。
農民はスパッツ状のパッチに短めの着物を端折った状態で作業をしているシーンは時代劇にも良く出て来ます。火消しは火事の現場では「火消し半纏」というものを着ていました。消防署員の防火服に当たるものです。激しい環境化での仕事着となると、強度を持たせるために生地に縫い目を入れる「刺し子」という一種の刺繍をしている法被なども江戸時代後期のものでは見かけます。
ちなみに江戸時代には商家の主人や女将さんレベルは例外として、一般の町人は足袋は履いていなかったようです。それは浮世絵に出て来る町人を見て頂くとすぐに分かります。

さて、「着物=絹」というイメージになったのは生活の中から着物が消えた事が一番の要因だと思われます。戦後の洋式化の流れの中で着物が日常生活で着る方がほとんどいなくなり、着物はフォーマル=冠婚葬祭の式服として着るものになってしまったのです。

ちなみに日本最古の絹織物は2100〜2150年前の福岡県の有田遺跡から発掘されています。2800年前に中国から日本に初めて北部九州に稲作、鉄・銅がもたらされ、その後、2200年前(紀元前2世紀)には養蚕・織物がもたらされたようです。奈良時代の万葉集やには「筑紫(現在の福岡)の絹が手に入らないけれど欲しい」と、続日本書紀には「絹は九州の名産品であった」という記述があるそうです。
この時期にも絹の装束(今の着物とは異なる)があったことは奈良・正倉院の宝物を見ても分かりますが、それはあくまで特権階級のものです。江戸時代においてでさえも、絹の着物は一般庶民が着るものではなかった・・・。

絹織物としての着物の歴史は2000年以上あります。と言っても、いつの時代においても絹の着物が”普段着”というわけではなかったということです。

着物に限ったことではありませんが、いまの常識は少し時代を遡るだけで常識ではなくなります。ということは今後の常識も変わり得るとも言えます。

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