最近のフォルクスワーゲンに限らず、近年、世界的にはマクドナルドを始め、国内も様々な大企業の不祥事がニュースになっています。
私はこれを「20世紀型の商業ブランドの失墜の始まり」だと捉えています。

そもそも「ブランド」とは何でしょうか?

様々な定義があると思いますが、私はこのように考えています。
ブランドとは・・・

新しいブランド(としたい事業)を立ち上げたとき、ブランドとして世間に打ち出したいイメージを言葉やビジュアルに落とし込み方向性を見いだします。これを商品はもちろんのことパッケージや店舗内装、Webサイト、制服や接客の仕方などに至るまで様々なことにブランドとしての一貫性を持たせてゆきます。そして、そのイメージをターゲットの潜在顧客層により多くの方に認知してもらい、商品やサービスの顧客になって頂くための様々なPRや販促活動を行ってゆきます。そして、より強固なブランドイメージを作りながら商業上の収益事業とするためのPDCA=改善を繰り返してゆく。こう言ったことがブランド事業を立ち上げてゆくうえで多くの企業が行っていることだと思います。

さて、ではこういう作業を行えば「ブランド」は作れるのでしょうか?

私自身の実体験から言うと、答えはノーです。

仮にこの作業が一定水準以上にできたとして、そして、その後の運営でも資本投下し一定水準を保ってゆければ、一次的にはブランドとして認知される段階までは行けるでしょう。それは、世間一般に知られているマスのブランドか、特定の人々に知られるニッチなブランドかはともかくです。
ただ、一度認知されたとしても継続的にブランドであり続けられるわけではありません。今回の様々な大手企業の不祥事は分かりやすい例だと思います。

今回のフォルクスワーゲンの不祥事は、ブランドイメージが失墜し、今後大きく同社の業績を落とすでしょう。同系列であるアウディやポルシェの一部の車種も対象だと言われており、これらのブランドに対するイメージも影響を及ぼしかねません。〜余談ですが、かつて着物に似合う車に乗りたいと物色していて、少し古めの角張った外装に内装が黒い革張りのフォルクスワーゲンを手に入れて乗っていたことがありました。車体は小さいけれど高速道路でも良く走り気に入っていました〜

いま一般企業を取り巻く環境も大きく変化して来ています。株主の力が大きくなり、上場企業は短期間で収益を上げ続けなくてはならないために”結果を良く見せる”様々なことを行わなくてはならない悪循環にはまっています。かつて歴史的な蓄積をもって「ブランド」足らしめた存在も、最近は株価維持や業績維持のために”ネタ作り”をしなければならない状況です。

大手企業はともかく、私達のように伝統文化や伝統工芸に関わるものは、株価対策を考える必要はありません。ただ、大手企業が陥っている罠は中小零細企業も陥る可能性があります。それは銀行対策であったり業界内でのイメージなどにおいてです。

私は「ブランドは作れるものではなく、結果として成るもの」だと考えています。

いくら外見が良さそうに見えても、その企業の経営者の生き方が伴わなければ会社の文化として定着することはなく、いずれどこかでほころびが出てくるのだと思います。ちょっとしたつまずきが、短期間にSNSで拡散され大きな事故に発展している事例を最近良く見かけます。

「ブランド」は理想に向かって目指すゴールのようなものではありますが、そのゴールに行き着くための日々の鍛錬は続けなければならないのだと思います。なぜなら「ブランド」というゴールは、蜃気楼のように永遠に追いつけないものだからです。

ここで私のような者が世界的な大手企業に対する批評や批判を行おうというのではありません。
国内においては大量生産大量消費の時代は終わりました。これから恐らく最後のスイートスポットである我々団塊ジュニア世代も今後は年齢を重ねてゆきます。そんな中で私達のような小規模事業者が世界を相手にした競争社会で生き残ってゆくためには、会社や事業の規模ではもちろん勝負になりません。少ないお客様だったとしても、どれだけ求めて頂ける存在に成りうるかということなのだと思うのです。

資本力も人材もいない個人や中小零細企業だからこそ、その個人の生き方と商いの仕方を一致させる「生商一致」を時代が求めている、と思えてならないのです。それこそが本当に「ブランド」足らしめる条件なのだと思います。

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